天皇の神聖性の否定と象徴天皇制

島薗 進

しまぞの すすむ | 

1948年生まれ、宗教学者、上智大学教授、東京大学名誉教授。著書に『宗教ってなんだろう? 中学生の質問箱』(平凡社)、『日本仏教の社会倫理』(岩波現代全書)、『国家神道と日本人』(岩波新書)など。


はじめに

 

一九四五年八月以前の日本では、国家神道が国民生活のそこかしこで顔を出し、神権的国体論が正統思想の政治体制であり、神聖天皇の崇敬が国民生活に浸透していた。これに対して、戦後の日本の社会では、国家神道が解体されて宗教的にニュートラルな社会になり、神権的国体論は除去されて立憲民主主義体制となり、神聖天皇への崇敬は一部の人々が継承しているものの広範な国民には押し付けられなくなった、そう理解されてきた。

ところが、自民党の右派、日本会議、神道政治連盟といった政治勢力は、こうした戦後体制を占領軍の押し付けによるものだとし、戦前の体制に回帰することを目指すかのような姿勢を示してきている。第二次世界大戦終了から六五年を経た二〇一〇年代に入って、こうした姿勢が強まっている。二〇一二年以来の第二次安倍政権では、日本会議や神道政治連盟が大きな影響力をもっている。第三次安倍内閣(二〇一五年一〇月?二〇一六年八月)では閣僚二〇人のうち一九人が、第三次安倍第二次改造内閣(二〇一六年八月?)では一七人が、神政連国会議員懇談会に名を連ねていた。神政連国会議員懇談会のメンバーである国会議員は二〇一六年段階で、衆議院で二二三人、参議院で八一人、衆参両院合わせて三〇四人とされる(青木理『日本会議の正体』平凡社、二〇一六年)。国会議員全体(七一七人)の約四割であって、これには自民党以外の議員も加わっている。

こうした状況において、国家神道の復興、神権的国体論の復権、神聖天皇崇敬の顕在化が目立つようになる。いくつかの領域で右傾化が明確な形をとって現れ、それに抗する動きも顕在化するようになっている。この稿では、生前退位の問題と皇室祭祀の問題を取り上げて、近年の動きを振り返ってみたい。

 

一、皇室典範と生前退位問題

 

明仁天皇の生前退位の「お言葉」

二〇一六年八月八日の明仁天皇の「お言葉」は生前退位の意思を強くにじませたものだった。右派の論客として知られる国学院大学名誉教授の大原康男氏が「メッセージの中には「退位」「譲位」というお言葉はなかったが、間接的にそれをお望みになっていることが分かる内容だったといえるだろう」(『産經新聞』八月一〇日)と述べているとおりである。ところが、「男系の皇統維持を求めてきた人たちが困惑している」という(『朝日新聞』九月一〇日)。「男系の皇統維持を求めてきた人たち」には、「『日本会議』や「神道政治連盟(神政連)」の関係者が多く、安倍政権の支持層とも重なる」という(同前)。

「生前退位、困惑する男系維持派 『パンドラの箱があく』」との見出しを付したこの朝日新聞の記事には、日本会議代表委員の一人で外交評論家の加瀬英明氏の言葉が引かれている。「<RUBY CHAR="畏","おそ">れ多くも、陛下はご存在自体が尊いというお役目を理解されていないのではないか」、そしてまた、「天皇が『個人』の思いを国民に直接呼びかけ、法律が変わることは、あってはならない」と。

同じ記事には、ジャーナリストの櫻井よしこ氏が本年二月の憲法改正を求める集会で「日本人ってなんだろう。日本の国柄ってなんだろう」と問いかけ、「天照大神の子孫の神々様から始まり、神武天皇が即位なさって、神話が国になったのが日本だ。その中で皇室は重要な役割を果たしてきた」と述べたことも伝えられている。

このように天皇の神聖性を強調し、神聖な天皇であるが故に生前退位は許されないとする論は、東大名誉教授の小堀桂一郎氏にも見られる。同氏は「天皇の生前御退位を可とする如き前例を今敢えて作る事は、事実上の国体の破壊に?がるのではないかとの危惧は深刻である。(略)摂政の冊立を以て切り抜けるのが最善だ」(『産経新聞』二〇一六年七月一六日)とも述べている。

「国体」というとき神話的な始原に遡る神的天皇という宗教的観念が関わっていることに注意が必要だ。「天照大神の子孫の神々様から始まり、神武天皇が即位なさって、神話が国になった」という櫻井よし子氏の言葉に示されているとおりである。生前退位を認めないと主張する論者たちは、生前退位が天皇の神聖性を脅かすという理由に思いを置きつつそう主張しているのだ。

神聖天皇ではなく人間天皇として

これは戦前の国体論が国家神道と不可分の関係にあり、神的な由来をもつ神聖天皇への崇敬を求めるものであったことを思い起こせば理解しやすいところである。彼らは戦後の天皇が国体論と結びついた神聖性を薄めていき、国民とともにある人間君主であることを許容できないと考えている。要するに神聖国家を尊ぶ信念に基づいて、天皇の人間化に反対しているのだ。ここには宗教的な国家観が関わっていることになる。一九四七年制定の現行の皇室典範には生前退位の規定がなく、また男系相続が規定されているが、これらが神聖天皇の支えとなると考える人々がいる。

これに対して、八月八日の明仁天皇の「お気持ち」表明は、神聖な天皇としてではなく、人間天皇として人びとに語りかけるという姿勢が貫かれたものだった。まずは、一人の人間として語るという姿勢をよく示す言葉を拾ってみよう。たとえば明仁天皇は、「私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います」と語っている。「個人として」という言葉と同様、ひとりの人間としての自覚に基づくのは「自分」、「自ら」という言葉だ。「天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました」と述べているのだ。「自らの歩み」、「自分の在り方」という表現に対応する表現として「身を処す」という言葉も見られる。「どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました」という箇所である。

このように今上天皇がひとりの人間としての主体性を示していることは、この「お気持ち」表明において、身体的な弱さに繰り返し触れていることとも深く関わっている。まず冒頭で「私も八〇を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり」と述べている。「二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった」ことにも、「次第に進む身体の衰え」にも言及されている。さらにまた、天皇の死後、二ヶ月にわたって続く殯の行事や一年間続く葬儀関連の行事にもふれ、「残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるをえません」とも述べている。残される家族には後継の天皇も含まれる。人間としての天皇の弱さが十分に考慮されるべきであることを強く述べているのだ。

「神聖な天皇」ではなく「人間としての天皇」として語るとの意思は、「国民と共にある」自覚にふれていることにも表れている。そこには、天皇と国民との相互関係として捉えようとする姿勢が反映している。「天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました」と述べているとおりである。最後に今一度、「どのような時にも国民と共にあり」と述べていることも印象的である。

(続きは本文をご覧ください)

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