官邸・メディア・市民社会

――すべてを「なかったこと」ですませてよいのか

山田健太

やまだ・けんた | 

1959年生まれ、言論法、ジャーナリズム論。専修大学教授


【特集】 〝圧搾空気〟にあらがう

 

何ともイヤな空気が国中を覆っている。みんな一色にされている。たとえば天皇代替わり礼賛、日韓関係は嫌韓・反日、東京オリ・パラあと○○日……。「表現の不自由展・その後」の「少女像」を自治体首長が国民感情に合わないと言い、官房長官が補助金支出を見直すと焚きつけると、「国民」が躍って抗議電話、「京アニ」のようにやると脅す者も。その後、政府(文化庁)は〝妨害〟への対策不十分と後出しで難癖をつけて不交付決定。他方、福島原発訴訟(東京地裁)の原告敗訴。国策第一、お上のやることに楯突くなと言わんばかり。司馬遼太郎はかつて、大日本帝国憲法を補完するものとして教育勅語を位置づけ、日本を覆う何とはない自由と人権の抑圧、押し詰められるような空気の醸成を「圧搾空気」と形容した。「空気」はやがて、異を唱える者を「非国民」「アカ」と呼んで排除し、逮捕・投獄も当然とした。遠い歴史の話ではない。首相の街頭演説を批判する人たちを強制排除し、前大臣がヤジは権利として保障されていない、と言ったのはつい昨日のことである。「戦争する国」づくりは武器弾薬だけのことではないのだろう。「圧搾空気」が「好戦空気」に変わらぬ前に、やることはまだまだあるし、やらなくてはいけない。そうなってからでは遅いのだから

 

官邸・メディア・市民社会――すべてを「なかったこと」ですませてよいのか

 

いま世の中では〈ステルス旋風〉が吹き荒れている。政治家も公的機関も、自分の都合の悪いこと、面倒なことをひたすら「なかったこと」にしようとしているからだ。それはまさに、将来に向けての話し合いの土台である「事実」を明らかにしないことによって、批判はおろか検証も議論もさせないというという、強い意志のあらわれともいえる。

一方で、それに抗う動きもある。官邸の官房長官記者会見の異様な対応を、一つのモチーフにした映画「新聞記者」が作られ、その興行成績が一般の娯楽映画と肩を並べる成績を示し、上映館では終演後に拍手が起きたと伝え聞く。もちろんその前提には、会見で質問を続ける武骨な記者が存在するという事実があるということだ。

しかし一般には、こうしたジャーナリズム活動を取り巻く環境は極めて厳しい。たとえば7月に発生した京都アニメーションの放火事件に際して、犠牲者の遺族の多くは取材・報道を拒否する意向を示したとされ、実際に行われた犠牲者の実名報道に対しては、ネットを中心に新聞・テレビに対する強い批判や抗議が寄せられている。メディアの姿勢は、全く市民社会の共感を得られていないということだ。

こうした状況のなかで、日本の表現の自由は後退に後退を重ね、世界の中で「後進国」の仲間入りをする状況だ。もっと言えば、「報道の自由を公権力が脅かしている国」の一つに数えられる状況にある。にもかかわらず、社会全体としてそうした危機感はなく、政権も市民社会も、報道の危機を訴える記事や放送に対し、「何を大げさな」という態度を示している。さらにいえばジャーナリズム界の内部でさえも、自分たちの表現の自由の可動域が狭められてきていることへの認識は、極めて希薄である。

本稿では、こうした状況を改めて俯瞰し、問題の摘出を行い今後の議論の素材を提供したい(本稿の一部は、「琉球新報」及び「東京新聞」の連載をベースに、加筆したものであることをあらかじめお断りする)。

 

●メディアと政治の距離

すでに多くの指摘があるように、安倍晋三首相のメディア戦略は硬軟の使い分けで、批判的メディア媒体に対しては国会でも具体的名称を出して厳しく批判し、また総裁を務める自民党でも取材拒否や抗議などの厳しい対応をとってきた。その一方、親和性の高いメディアには積極的に取材に応じるほか、紙誌面や番組に登場する傾向が強い。さらに、個人ベースでみても、特定のメディア関係者との接触が、新聞の首相動静欄だけからも明確に窺われる。より具体的に、誰と、どのランクの会食をしているか、学生の調査からみてみよう(専修大学ジャーナリズム学科「言論法研究室」調べ)。

会食場所を「食べログ」表示の値段で分類すると、社によって会食値段に違う傾向がみられる。具体的には読売・日本テレビが、回数が多いとともに値段も平均的に一番高い。4万円台の会食が多いし、回数も政権期間中すでに40回を超える。回数では次に多い、朝日・テレビ朝日、日経・テレビ東京、NHK、時事の4倍と大きな開きがある。この媒体間格差は、まさに官邸メディア戦略の1つとして認識せざるを得まい。

ちなみに、全体では最多料金帯は2万円台で、次が3万円台となっている。会食自体が問題ということではないにしろ、経営トップが会うことによる政策決定への関与があるのか否かを含め、一般市民からの疑問に答えるだけの透明性の確保が求められることになろう。

会食に限らない接触回数では、新聞社では「読売→産経→日経→共同→毎日→時事→>朝日」の順、放送局では「NHK→日本テレビ→フジテレビ→テレビ朝日→TBS→テレビ東京」の順となる。最近は定例化した感さえあるAbemaTVへの出演が話題になるが、とりわけ選挙時期には、全国放送であるNHKを重視していることの表れともいえよう。

「非放送」の動画配信サイトへの出演は、「思う存分、好きなことを喋れる快感」を知った首相が、その後の民放不要論に傾斜するきっかけになったともいわれている。もともと、ツイッターやフェイスブックなどによる、国民への直接の語りかけを重視していた官邸が、まさに「マイメディア」をもった瞬間であるともいえる。そして既存マスメディアに対する選別も、このメディアを「我が物にする」という意味でマイメディア化そのものであるといえるだろう。

首相が会ったメディア関係者を個人別でみると、回数が一番多かったのは読売新聞の渡邉恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆であり、同氏との接触のほとんどは会食であった。ちなみに次に多かったフジテレビの日枝久会長は、自社関連のコースでのゴルフがお決まりのパターンだ。なお、読売の場合は様々な役職者と会っているのに対し、他紙・他局の役職のあるメディア関係者との接触は少ない。

ほかに、接触回数が10回以上を数えるのは多い順に、小田尚(読売)、粕谷賢之(日本テレビ)、田崎史郎(時事)、清原武彦(産経)、大久保好男(日本テレビ)、曽我豪(朝日)、福山正喜(共同通信)であった。ほかに目立つのは、島田敏男(NHK)、芹川洋一(日経)、田中隆之(読売)、朝比奈豊(毎日)、山田孝男(毎日)あたりであろうか。

会食の規則性を見つけることは難しいが、13年から毎年12月にメディア関係者と会食が定例化している。また14年から、5~6月に固定メンバーでの会長を繰り返していることがわかる。たとえば前述の接触回数が多い記者の中でも、小田、粕谷、田崎などとの会食もその1つである。

官邸情報を継続的にウォッチし報道する意義はある一方で、「スポークスマン」にならないことの線引きが、読者・視聴者にきちんと伝わることが求められていることになる。そうしないと、政府益を守るための報道と見られ、信頼感の喪失につながりかねないからだ。これもまた、メディアが負う説明責任の1つであろう。

またこうした会食を含む折衝情報とともに、かねてから指摘があるのは、政府審議会への参加や関連役職への「天下り」だ。恒常化しているものとしては、国家公安委員会委員への新聞社ポストのほか、半公的ポストでいえば日本相撲協会の横綱審議会委員などがある。また、19年9月には現役の読売新聞グループ本社会長がスイス大使に任命され話題になった。これらは受ける側の倫理感も問われるが、むしろ任命側の人選の「正統性」に関する説明責任が問われてしかるべきある。

(以下は本文をお読みください)

 

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