植民地歴史の清算

―政治による歴史の捏造と屈折を乗り越える

権五定

クォン・オジョン | 教育学、龍谷大学名誉教授



1、植民地の歴史が残したもの

 

今、日韓両国は暗いトンネルの中でもみ合っている。

2018年10月30日、韓国の大法院(最高裁判所)が日本の企業に対して元徴用工への補償を命じる判決を下した。すぐさま、日本政府は、1965年の日韓条約によって個人請求権の問題は既に終わったものであり、両国間の確認事項であるこの問題で国際紛争を引き起こしている韓国は信頼できないとヒステリックな反応を見せた。そして、韓国をホワイト国家から外し、韓国の先端産業にとって絶対必要な部品や原料の輸出を制限する措置を取った。韓国政府は日本の措置に対抗して、GSOMIA(日韓秘密軍事情報保護協定)の破棄も辞さないと軍事的カードまでかざした。

この一連の過程で、両国の一部のマスコミはフェーク情報まで流しながら反日・嫌韓を煽ってきた。長い年月成熟してきた市民レベルの絆にひびが入り、市民たちの情緒構造に異変が起き始めている。

事態がここに至るまで、領土(独島・竹島)問題、従軍慰安婦問題などで葛藤が続いてきたが、元を辿れば、すべて植民地支配に原因がある。そして、植民地問題を清算してこなかったことで、両国関係はますますこじれ、新たな問題を再生産してきた。

 

植民地が残した根本的な不幸は〝歴史の断絶〟である。

韓国(朝鮮)では長年の儒教の理念的呪縛から抜け、合理的な国家・社会の建設を目指そうとする「実学」運動が17世紀後半から台頭し始め、韓国独自の近代化の動きが芽生えていた。また、市民の人権と社会移動の可能性が徹底的に制限・抑圧されてきた歴史の中に、「人乃天」、つまり、民が天であるという市民主権・人権尊重の考え方も現れていた。韓国に近代化と民主化の曙光がさし始めていたのである。しかし、曙光は植民地化によって暗黒の中に消えてしまった。歴史の断絶である。

歴史の断絶は、韓国人に自尊の喪失、価値の転倒をもたらし、生きる方向を見失わせた。生の営みを決定する「関係」のメカニズム、中でも国家と個人の関係は完全に破壊され、「他人の国」の下、市民はできるだけ国家との関係を避ける生き方を取りはじめた。国家の主権を失っただけでなく、市民主権の構造も根底から歪んでしまったのである。

植民地がもたらした歴史断絶の最たる悲劇は、国家・民族の分断として可視化した。韓半島の分断は、当時の状況だけ見れば東西対立の結果であると言えるかも知れないが、根本から見ると植民地歴史に端を発している。植民地がなかったら分断はあり得ないのである。

日本は韓国を植民地にし、莫大な投資を続け、鉄道・港湾・電気・通信などのインフラを整備し、工業・鉱業などの産業を発展させたという、いわゆる「植民地近代化論」を唱える者が日本だけでなく韓国にも存在する。しかし、歴史の断絶と植民地的開発を天秤にかけることは言語道断である。まず、歴史の断絶による損を物量的に測ることは絶対誤謬であり、無理を承知で、物量的に測るとした場合、南北に分断した国家・民族を統一するのにかかる時間的・心理的・経済的費用を算出できるのか。植民地近代化論は、日本人の口から出ても、韓国人の口から出ても、〝精神分裂的暴言〟である。

 

植民地の歴史を清算する、断絶を回復すると言っても、分断した国家・民族の統一のように、直ちに実現困難な事案もある。しかし、植民地的精神・思想の残滓を払い除けること、強制・教化・偽りによって歪な構造になった情緒に起因する不信といがみ合う関係を回復させること、植民地的制度・ルール・慣習を正すことは留保できない。

そして、清算作業を進める際、その作業は〝国家の次元・責任〟下、常に個々市民の犠生平癒に焦点を合わせて行うべきであり、清算の結果は〝市民主権の復活〟に繋がらなければならない。

 

2、植民地歴史清算と日本の選択――「国家のモラル」が歴史の隠蔽・捏造を許すのか?

 

終戦とともに、半世紀にわたる日本の韓国(朝鮮)、台湾に対する植民地支配は終わった。しかし、日本は〝国家として〟、その植民地支配に対する評価も、反省も、謝罪もしていない。

日本も植民地の歴史を作ることによって、自らの歴史を断絶してしまった。植民地支配は、帝国主義、侵略的軍国主義、戦争への道を歩んで、負の歴史を作る一連の過程で起こったことである。近代化を進め、非西欧圏では唯一文明国として誇りを持てるようになった日本の国家としてのイメージ、カタチ、品格が変わったのである。歴史の断絶である。

日本は、文明市民としての誇りを持って生きてきた自国民に、侵略者としての罪意識を抱かせた。犠牲を強いられた自国民に対して謝罪どころか、「一億総懺悔」という心理的拘禁を強いる「空気」を作った。そのような空気の中で、例えば、沖縄の犠牲事実の記録(『沖縄ノート』)まで否定する動きも現れ、沖縄の犠牲は今日も続いている。「国家のモラル」が問われる。

 

植民地清算と関連して、日本が見せた無責任極まりない態度は、戦後在日コリアン対策にも如実に表れている。祖国が解放された時点で、在日コリアンたちは当然祖国に帰ると思っていた。しかし、GHQの統制下にあったとはいえ、日本は、帰国の際、通貨1000円、荷物113㎏までという制限を設けた。しかも、韓半島に残っていた日本人を引き上げるために送る船の往路便以外に在日コリアンのための帰国船さえ用意してやらなかった。

さらに、日本は残留している在日コリアンの日本国籍を剥奪した。1951年のサンフランシスコ条約は、在日コリアンの「国籍選択権」を含めた法的地位に関してなにも言及してない。それをいいことに、日本の法務省は、平和条約の発効に伴う植民地出身者の国籍及び戸籍事務に関する通達を出して(1952年4月19日)、在日コリアンの日本国籍を喪失させた。韓半島に対する領土的主権を失ったので、その領土出身の人々に対する対人主権も自動的に消滅し、従って、在日コリアンは日本国籍から離脱したと解釈したのである。その後、「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国に関する特例法」(1991年)に見るように、「国籍の離脱」が公式的な見解となった。

しかし、在日コリアンには国籍を選択する権利も機会も与えられず、国家の国籍与奪に翻弄されていただけである。明らかに日本国による国籍の剥奪であった。今一度「国家のモラル」を問いたくなる。

 

「国家のモラル」が働いていたのなら、歴史の断絶について、日本は〝国家として〟、反省と謝罪のメッセージを韓国に届けたはずである。

なるほど、日本は韓国に繰り返し反省と謝罪をしてきた、いつまで反省と謝罪を繰り返さなければならないのかと反論するかも知れない。最近は、ネット上にまで日本の反省と謝罪の履歴がずらっと載っている(主なもののみ要約して記しておく)。

1984年9月6日:昭和天皇「……今世紀の一時期において、両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり……」

1984年9月7日:当時の首相中曽根康弘「貴国及び貴国民に多大な困難をもたらした。深い遺憾の念を覚える……」

1990年5月25日:当時の首相海部俊樹「私は、……過去の一時期、朝鮮半島の方々が我が国の行為により耐え難い苦しみと悲しみを体験されたことについて謙虚に反省し、率直にお詫びの気持ちを申し述べたいと存じます」

1992年1月16日:当時の首相宮澤喜一「私たち日本国民は、まずなによりも、過去の一時期、貴国国民が我が国の行為によって耐え難い苦しみと悲しみを体験された事実を想起し、反省する気持ちを忘れないようにしなければなりません。私は、総理として改めて貴国国民に対して反省とお詫びの気持ちを申し述べたいと思います」

1993年8月4日:当時の内閣官房長官河野洋平「……当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」

1993年9月24日:当時の首相細川護熙「……過去の我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたことに改めて深い反省とおわびの気持ちを申し述べる」

1995年6月9日:戦後50年衆議院決議「世界の近代史における数々の植民地支配や侵略行為に思いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民とくにアジア諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する」

1995年8月15日:当時の首相村山富市(村山談話)「我が国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えました。……疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします……」

1996年10月8日:明仁天皇「このような密接な交流の歴史のある半面、一時期、わが国が朝鮮半島の人々に大きな苦しみをもたらした時代がありました。そのことに対する深い悲しみは、常に、私の記憶にとどめられております」

2001年10月15日:当時の首相小泉純一郎「日本の植民地支配により韓国国民に多大な損害と苦痛を与えたことに心から反省とおわびの気持ちを持った……」

 

確かに、植民地支配とその時代の韓国国民の苦痛に対して、天皇をはじめ、総理大臣などによる反省と謝罪の言葉が続いてきた。韓国としても受け止めなければならないところがあると思う一方、韓国(人)がなぜ謝罪してもらったと認めようとしないのかを分かろうとしない日本人の心底に「植民地的情緒」が残っているように思えてならない。

これまでの反省と謝罪は、あまりにも一般論的である。反省と謝罪の実質的な中身が見えない、私に向けて言ったのか、人一般に向けて言ったのか分かりにくい。従軍慰安婦のように具体的な対象に対する言及も「女性の名誉と尊厳」という一般的・抽象的言葉になっていて日本人の「気持ち」が伝わらない。

日本側の反省と謝罪が、韓国人に受け入れられないもっと根本的な理由は、その反省と謝罪が「国家的次元」で行われてこなかったことである。今までの反省と謝罪は国会の決議に基づいた「国家の行為」ではなく、政治家の個人的な意思か、せいぜい内閣で決めたものであった。だから、反省と謝罪が出るや否や日本国内で否定されたり意味変化したりしてきたのである。日本の国内で否定される反省と謝罪が信頼されるはずがない。

特に、最近は、反省すべきは「自虐史観」であるという勢力が登場して、反省と謝罪どころか、植民地支配を正当化している。韓国では、〝(断絶の)傷に唐辛子を擦りつけている〟という。

 

冒頭で述べた、日韓関係が悪化する直接的なきっかけになった徴用工の判決についても、韓国政府の政治・外交の未熟さを勘案しても、日本の対応は単線的な植民地的思考から発しているとしか言いようがない。

日本政府と一部のマスコミは、韓国は1965年の国家間の約束を破棄した信頼できない国であると派手に罵っている。1965年の約束とは、日韓国交正常化条約を締結する時交わした「個人請求権の放棄」のことであるのは言うまでもない。しかし、日本政府は、外務省条約局長柳井俊二の参議院での答弁(1991年8月27日)が明確にしているように、〝国民個人について国の権利として持っている外交保護権は放棄したが、個人の請求権自体が直接消滅したのではない〟という立場を取ってきたことは周知のとおりである。そして、日本の最高裁判所は2004年、外交保護権を放棄した中国の国民が西松建設を相手に起こした訴訟で、個人の請求権の実体的消滅はないという立場から、西松に対して中国人労働者の債権を清算するように勧告し、西松もそれを受け入れ清算・和解した。日本政府への請求でもなく、新日鉄住金株式会社に賠償を命じた韓国大法院の判決だけが、どうして国際的約束を破棄したことになるのか。

徴用工の裁判の経緯や裁判後の対応について、日本政府に誠意ある説明を行っていない韓国政府をほめるつもりはないが、日本側がなぜそれほどヒステリックな反応を見せなければならなかったのか、理解に苦しむ。

そもそもこの問題は、日本と韓国という国家が個人の権利を踏みにじった植民地的思考から出た国家の犯罪に由来する。日本と韓国は共犯者だったのである。今回徴用工問題をめぐる日韓間の葛藤は、共犯国家同士の仲間割れの結果である。仲間割れした国家(政権)と一部のマスコミが、市民レベルの交流までを引き裂き、新たな断絶の谷を深めようとしている。国家の理性とモラルの喪失現象なのか。

日本に、韓国は恩知らずであると言う人たちがいる。日韓国交正常化条約の締結時、莫大な「独立祝賀金」までもらっておきながら、謝罪にまた謝罪を要求する厚かましく、しつこい国であるとも公言する。その人たちに、韓半島の南北の「分断回復金(=統一費用)」を用意するつもりはないのか聞きたい。

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