行政機関化する大学、軽視される専門知

―公文書管理問題を通して考える

駒込 武

こまごめ・たけし | 教育学、京都大学大学院教授



はじめに――公文書管理問題の根深さと広がり

 

日本政府による公文書管理のあり方が大きな問題となっている。近年に国会で取り上げられた問題だけでも枚挙にいとまがない。

二〇一七年には防衛省が廃棄したはずの南スーダン「日報」が存在していることが発覚、情報公開請求に対して意図的に不開示としていたことが判明した。同じ年に森友学園への国有地売却にかかわる記録などの廃棄も露見した。二〇一七年末には「行政文書の管理にかかわるガイドライン」が改訂されて「一年未満」で廃棄可能な文書にかかわる規定が厳格化されたはずだった。

しかし、その後も公文書管理問題は終息するどころかむしろ拡大して、ほとんど収拾のつかない状態になりつつある。二〇一八年春には財務官僚による決済文書の「改ざん」すら発覚、二〇一九年には厚生労働省による「毎月勤労統計」の不正操作にかかわって、データ補正のために必要な基礎資料を廃棄していたことがわかった。そして昨年から今年にかけて、首相主催「桜を見る会」にかかわる招待者名簿が「一年未満」に相当する文書として廃棄され、バックアップ用電子データも削除された事実が浮かび上がってきている(実際のところは、南スーダン「日報」のように単に「隠蔽」されている可能性も十分にある)。

これらの事件に共通しているのは、公文書の「廃棄」「削除」「改ざん」「隠蔽」のような行為が、安倍内閣にとって都合の悪い情報を隠蔽する方向でなされていることである。しかも、「桜を見る会」とその前夜祭に関しては、安倍晋三衆議院議員が内閣総理大臣という地位を利用しておこなった違法行為を証する資料が隠蔽されている可能性が強い。筆者としては、右に挙げた事件のどれひとつをとっても、内閣総辞職に十分に値する出来事だと考えている。ただし、この小文で考えたいのは、そのことではない。かりに内閣総辞職を実現できたとしても簡単には解決できないような、問題の根深さと広がりである。その一端を明るみに出すために、次のような問いを立てたい。

第一に、「公文書等の管理に関する法律」(公文書管理法、二〇一一年四月一日施行)の制度設計に根本的な問題がはらまれているのではないか。言葉を換えれば、この法律の立て付けが、内閣総理大臣を始めとする権力者による違法、あるいは脱法的な行為を防ぎえない仕組みとなっているのではないか。第二に、筆者の勤務する国立大学法人京都大学の公文書管理と情報開示にも行政機関に通底するような問題が存在しているのではないか。この二つの問いをあわせて考えることにより、専門知の軽視ともいうべき事態が、この社会の深部でひっそりと、しかし着実に進行していることが浮き彫りとなるはずである。

一、行政文書は誰がどのように管理すべきか?

公文書管理法における内閣総理大臣の権限の強さ

公文書管理法は、第一次安倍内閣の年金記録問題などを通じて公文書管理の適正化を求める声が高まったことを受けて、二〇〇九年に鳩山内閣の下で制定された。「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」(情報公開法、二〇〇一年四月一日施行)と相まって「国民」の「知る権利」を実現するための両輪となることが期待された。

公文書管理法の第一条では格調高いトーンで法制定の目的を述べている。

 

「この法律は、国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政文書等の適正な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする。」

 

「国民共有の知的資源」「現在及び将来の国民に説明する責務」という表現――筆者としては日本国籍保持者のみならず永住資格を持つ外国籍の人々を含めた「市民」あるいは「住民」への責務という表現が望ましいと考えるものの―は、この法律が行政機関の組織防衛的姿勢から距離をとり、組織の外部にある人々への説明責任を重視しようとする姿勢を物語る。

この法律に定める「公文書等」とは行政機関の職員の作成した「行政文書」と、独立行政法人等の作成した「法人文書」、国立公文書館等に移管された「特定歴史公文書等」から構成される。「行政文書」をめぐる文書の整理と保存から、管理、移管または廃棄にいたる手続きにおいて重要な位置を占めるのは、公文書の評価選別と廃棄にかかわる規定である。公文書管理法では以下のように定めている。

 

「第八条 行政機関の長は、保存期間が満了した行政文書ファイル等について、第五条第五項の規定による定めに基づき、国立公文書館等に移管し、又は廃棄しなければならない。

2 行政機関(会計検査院を除く。以下この項、第四項、次条第三項、第十条第三項、第三十条及び第三十一条において同じ。)の長は、前項の規定により、保存期間が満了した行政文書ファイル等を廃棄しようとするときは、あらかじめ、内閣総理大臣に協議し、その同意を得なければならない。この場合において、内閣総理大臣の同意が得られないときは、当該行政機関の長は、当該行政文書ファイル等について、新たに保存期間及び保存期間の満了する日を設定しなければならない。」

 

このように公文書管理法は廃棄の権限を「行政機関の長」(府・省・庁のトップ)に委ね、その判断をチェックする存在として「内閣総理大臣」を想定している。だが、行政機関の長がかならずしも説明責任を果たすことに積極的とは考えられない。むしろ何か「不祥事」がおきた時に外部からの批判に対して組織を守ろうとするため、事態を隠蔽する方向に動きがちとも考えられる。そのために、内閣総理大臣による「同意」が必要とされるわけだが、内閣総理大臣にそうした役割を期待できるのか、疑問である。

とりわけ内閣府の場合には行政機関の長が内閣総理大臣であるために、行政文書を内閣総理大臣が廃棄したいと考えて「一年未満」に分類した場合、ほとんど歯止めが効かないこととなる。

 

内閣総理大臣の権限を抑制する仕組み

 

森友学園問題等を通じて公文書管理法のザルさ加減が明白となったために、二〇一八年九月三日には内閣府に公文書監察室が設けられ、第三者的な立場からのチェックを行うものとされた。だが、監察室も内閣府の一機関である以上、内閣総理大臣が自ら違法あるいは脱法的なやり方で公文書の廃棄を望む場合には、チェック機能を果たしえないだろう。実際、「桜を見る会」招待者名簿の「廃棄」にかかわる報道によれば、内閣府官房総務課が「一年未満」の廃棄対象の「具体例」として「儀式、行事、表彰、及び式典開催に係る出欠確認資料」を挙げたことに対して、公文書監察室の調査報告書(二〇一九年四月)では「さらなる具体化が必要」と指摘したにもかかわらず、官房総務課はこの指摘を無視して修正せずに「廃棄」したことになっている(『毎日新聞』二〇二〇年二月一八日付)。

まがりになりにも選挙を経て選出された内閣総理大臣が、人事を通じて会計検査院にも人事院にも法制局にも検察にも強大な影響力を及ぼすことになった場合、なんらかの有効な歯止めがありうるのか。それは立憲主義と三権分立にかかわる根本的なジレンマであり、公文書管理に限られたことではない。その点では現行の公文書管理法が内閣総理大臣自身による違法あるいは脱法的な行為を想定していないのはしかたないともいえるし、まがりになりにも公文書管理法が制定されたからこそ法の網の目をかいくくぐる行為を摘発することも可能になったのだということを見落とすべきではない。

それにしても、現行の公文書管理法を前提としながら、小手先の手直しではない改革がありうるとしたらどのようなものなのか。この点で着目に値するのは、日本弁護士連合会が二〇一五年時点で公文書管理法見直しに向けて内閣総理大臣や総務大臣に提出した意見書である。

そこでは「各行政機関が公文書の作成・保存について消極的であることは,情報公開法案の立法過程から予測されていたこと」であるとした上で、「専門的な見地から独立の判断」のできる「公文書管理庁」を設置し、必要に応じて職員に立入調査をさせる等の強い権限を付与すべきと論じている。行政機関の長による恣意的な評価選別と廃棄を防ぐべきと考えていたことがわかる。とりわけ重要なのは、行政事務上必要とされる保存期間を満了した「非現用文書」にかかわる提言である。

「公文書管理庁は,各行政機関の非現用文書を全て受け入れることができる中間書庫(一定の期間が経過した各府省の行政文書に関し、その保存期間満了前に一括して保管等の管理を行う集中書庫)を設置し、中間書庫に配置された公文書管理庁のアーキビスト(情報収集管理等の専門家)による廃棄及び移管の判断がなされるようにすべきである」としている(日弁連「施行後五年を目途とする公文書管理法の見直しに向けた意見書」二〇一五年一二月二八日、https://www.nichibenren.or.jp/document/opinion/year/2015/151218.html, 最終閲覧二〇二〇年二月二三日)。

この提言では、公文書の評価選別と廃棄にかかわる最終的な判断の主体はアーキビストとされている。内閣総理大臣が「公文書の作成・保存について消極的」である事態こそ想定していないものの、内閣総理大臣を含む行政機関の長による恣意的な権力行使を抑制する原理として、アーキビストの専門性を掲げている点は注目に値する。専門知こそが一般的な行政権力の行使に対する一定の歯止めとなりうるし、またならねばならないのではないか。そうした観点が提示されている。

それでは、アーキビストの養成を含めて専門知の拠点たるはずの大学における公文書管理はどのようになっているのか。

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