編集後記

新船海三郎

しんふね・かいさぶろう | 文芸評論家



▼共謀罪法案が国会を通過した。あまりに姑息、卑怯で、怒りより先に悲しくなってしまった。こんな輩とたたかい、なおこれからもたたかわなくてはいけないのかと思うと、わが身が情けなくなる。壮大な無駄に付き合わされている気もするが、これが人生か、ならば今一度、と頑張るほかない。愚痴っても仕方ないが、法案を通してよくやったと自賛した法務大臣は、法律はいつ施行かと記者に問われて返答できず、事務方に答えさせる、と。要するにこの人(じん)、やっぱり何も分かっていなかったらしい。首相は首相で、国会が終わったとたんに長々と記者会見し、今後丁寧に説明していく、と。秘密保護法のときも戦争法のときもそういったが、聞いた人はだれもいない。かと思えば、首相夫人はどこやらの講演会で、こちら側の思いをきちんと伝えてほしい、だと。夫唱婦随というが、〝話さない〟ということを二人はこう表現するようだ。

▼表現といえば、「共謀罪」でどんな団体が摘発対象となるかについて、衆院で首相が「そもそも罪を犯すことを目的とする集団でなければならない」と答えていたのを参院で追及された。「そもそも」は「最初から」の意味だが、オウム真理教は初めは宗教団体だったから摘発対象外か、と。そこで首相は、「辞書で念のために調べた」、「そもそも」には「基本的に」という意味もある、何の矛盾もないと自信たっぷりに答えた。質問した民進党議員がどういう辞書にあるのかと質問主意書を出したところ、「大辞林によると『そもそも』に『どだい』という意味があり、『どだい』に『基本』という意味がある」から、「そもそも」を「基本的に」といっても間違いでないと閣議決定して返答した。こじつけもここまできたかと?然とする。各種国語辞典の戦前版まで調べた人がいて、「そもそも」にそんな意味のある辞書は見つからなかったという。閣議決定を水戸黄門の印籠に例えた人がいたが、言葉の用例・解釈もそれで出来ると思っているところが恐ろしい。云々と伝々は似ている、ぐらいにしておけばいいものを、開き直って「悪魔の証明」をしては、もはや言葉の弄びだろう。ヨハネ福音書に「言葉は神」とあり、言霊ともいう。当選2回生女性議員の秘書への暴言、防衛大臣の自衛隊私物化の妄言……。言葉を嘲弄されて、神も私たちもさてどうする。

▼盧溝橋事件から80年。先年亡くなった高崎隆治の戦争文学研究は日中戦争から始まっている。戦時下に発行、発表された戦争文学を自費で集め、分析・紹介に生涯を費やした。戦争をもっぱら被害者の立場からとらえることに反対し、植民地や「敵国」はもとより自国民に対してまでの「加害」を追及し、それを告発しない文学、ジャーナリズム、政治社会を批判し続けた。高崎の「戦争文学文献目録」は、それを個人が集め、すべて読み込みでいたという点では、二年前に全20巻を刊行完結した集英社の〈戦争と文学〉に劣らない価値がある。自身の戦場体験を元に『人間の条件』や『戦争と人間』の超大作を書き、最晩年に至るまで日本の戦争加害と人間のありようを問い、戦争指向を指弾し続けた五味川純平など、今日あらためて評価したい。/今号から川村肇氏が編集委員に加わる。平均年齢が少し下がった。(新船)

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