いま、憲法を考える

9条の精神で地球憲章を!

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一 憲法70年の今

 

1、憲法が危ない! 世界が危ない!

 

安倍首相は「戦後レジー厶からの脱却」を掲げ、憲法の枠内でと言いつつ集団的自衛権を容認し、安保法制を強行採決し、その法の実行として南スーダンへの駆けつけ警護のための派兵を強行し、憲法との矛盾がますます大きくなる中で、憲法審査会を開いて、条文改正へと動き出そうとしています。

今年は憲法施行70年。その憲法記念日に安倍首相は、オリンピックの2020年には新しい憲法を施行する、憲法9条には自衛隊を合憲とする第3項を加えると発言、新たな波紋をよんでいます。一見、現状を書き込むだけの無難に見える発想は安保法制によって「合法化」された集団的自衛権を担う自衛隊を憲法に書き込むことになり、それは明白に矛盾する二つの条項を憲法の同一条文(9条)に書き込むことになり、許されることではありません。憲法解釈を安定させるどころか、矛盾を明示化し、混乱を深めるだけであり、自民党内からも批判が出始めています。

この間日本では、軍隊によって、殺し殺された者は一人もいないということは、希有の、9条があったればこその歴史です。改憲論の丁寧な批判に重ねて、憲法の意義を、歴史の中で、地球時代としての現代の視点から、そして私たちの生活の中で捉えることが大事です。戦争は嫌だと叫ぶだけではなく、守るべき平和の暮らしをつくりだすこと。子育て・教育にとっても平和な環境・文化は不可欠です。

 

自民党改憲案は国のかたちをかえるもの

 

自民党が憲法審査会で自説の基調に据えている改憲案(2012)は単なる改憲ではなく憲法の原理を根本から変えようとするものです、前文の出だしは「日本国民は」ではなく「日本国は」に始まり、この「憲法を制定する」となっている。単なる改憲ではないのです。憲法は人権保障のために国権を制約するものではなく逆に「公益や公の秩序」によって人権を制約するものになっています。さらに97条の最高法規の規定は全面削除です。この条文を書き留めておきましょう。「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」これが全面削除。自由や人権の理解が全く異なっているからです。

改憲論のもう一つの主張は9条改正です。「第二章 戦争放棄」は「安全保障」に変わり、国防軍が規定されます。これは新設の「第九章 緊急事態」と連動しています。先に強行採決で成立させた機密保護法とも、現在国会審議の焦点である共謀法とも連動するものです。

改憲、自主憲法の制定の主張の根拠として、9条は占領軍が日本を丸裸にするために押し付けたもので恥ずかしい規定だとする、根強い主張があります。安倍首相もそういう認識を公言していました。首相はさらに憲法は一国平和主義であり、自分の考えは積極的平和主義だと主張しています。国際的脅威に対する抑止力として「平和のために戦争に備える」という中身であることも明白です。抑止力の増強と軍事同盟の強化が9条改正の理由です。北朝鮮の冒険主義に対するトランプ大統領の武力攻撃も辞さないという発言に安倍首相はいち早く賛意を示し、脅威が明白な場合は先制攻撃が必要だという議論も国会で自民党議員から公然と主張されるまでになってきています。

しかし朝鮮戦争が再度始まれば、最大の被害者は南北朝鮮の民衆です。韓国の同意なしにはトランプの北攻撃はあり得ません。その韓国では民主化運動に支えられた新大統領(文在寅)が誕生しました。抑止力の競い合いは戦争の危機を引き寄せるものであり、解決の道は話し合うこと以外にはないことがこの間の教訓ではないでしょうか。しかし国際緊張が高まれば、改憲の条件がいっそう整うというのが政府の隠された本音だということも見え見えになってきたのではないでしょうか。ミサイル着弾に備えての退避訓練など、戦中派には噴飯物、というより怒りを感じさせるものです。

 

もう一つの動き

 

国際的には、緊張緩和の努力も続けられています。昨年暮れには国連総会で「平和への権利」宣言が採択され、今年の3月には国連で核兵器禁止条約へ向けての動きが高まりました。それに背を向けているのが核大国とアメリカに従属する日本。日本代表は欠席し、国連のその席には Wish you were here ! (あなたがここにいてほしかった)と書かれた折り鶴が置かれていたことを知り、唯一の被爆国として、9条の旗を掲げた日本代表を送り出せない日本の政治の貧困に悔しい思いが募ったことでした。国連総会での決議を承けての国連会議は5月22日に同条約の草案を発表しました。世界は動いているのです。

私たちの非戦・非武装の憲法の前文にはこう書かれています。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。――日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」緊張には軍備による抑止力ではなく、信頼と対話による平和外交、それを支える市民間の交流、そして国際世論以外に道はないのです。

 

2、70年の歴史

 

占領軍による押し付け憲法論が繰り返されてきましたが、特に9条のアイディアは時の首相幣原喜重郎によるものであることは今や明白な事実です。

昨年私が国会図書館憲政資料室で見付けた高柳賢三(憲法調査会会長)とマッカーサーの往復書簡(1958年12月)でマッカーサーは「あれ (9条) は幣原首相の先見の明とステイツマンシップと叡知の、不朽の記念塔(モニュメント)だ」と明言しています。幣原の遺言とも言うべき口述記録も『平野三郎ノート』として公表されています。戦間期の軍縮時代、幣原平和外交として知られ、〈15年戦争〉時には野にあった幣原。戦争による廃虚と原爆体験のあと、首相として戦後改革を担い、9条の理念に思い至った幣原を支えていたものは、あの大戦争と廃虚のなかで生まれた「戦争は嫌だ、武器は必要ない」という日本の、世界の民衆の思いであり、その結晶が非戦・非武装を掲げる9条なのだと捉える事ができます(詳しくは『世界』2016・5月号堀尾論文)。

この70年間は、憲法理念を根付かせる努力と、それを押しつぶし自主憲法なるものを作ろうとする力とのせめぎ合いの歴史でもありました。

1945年8月15日ポツダム宣言受諾、戦争への反省と平和への希求、国民主権、人権尊重、平和主義の憲法の成立、平和国家・文化的国家の建設、「憲法の精神の実現は教育の力に俟つ」とする教育基本法の成立。

しかし米ソ対立の激化、朝鮮戦争のなか、憲法70年の歩みは平坦ではありませんでした。安保条約締結の直後の1953年に行われた池田・ロバートソン会談は再軍備するための障害の除去の戦略構想が練られています。9条が最大の障害だが、それを変えるためには、平和教育を止め、愛国心の教育が必要だ。徴兵にしても平和教育を受けた青年が自衛隊に入れば危険な軍隊ができるだけだから、まず愛国心の教育を先行しなければならない。「日本政府は教育と広報をとおして愛国心の養成に努めねばねばならない」と密約をしたのです。

その2年後1955年には自主憲法制定を党是とする自由民主党が誕生します。「戦後の民主化の行き過ぎ是正」、巣鴨から政権に帰り咲いた岸信介は首相として改憲のための憲法調査会を発足させ、安保改定に取り組み、国民の強い反対のなかで挫折。改憲に強い意欲をもち、「戦後政治の総決算」を掲げて登場した中曽根内閣も改憲には踏み出せずに終わるのですが、その間教科書検定や教員統制を通して教育への介入は強まり、教育改革国民会議そして中教審で、教育基本法改正への地ならしが続きました。第1次安倍内閣はまずは憲法改正の一歩として、教育基本法を変え、国民投票法を通し、防衛庁を防衛省に昇格。第2次安倍内閣は自民党改憲案(2012)を背景に、集団的自衛権容認の閣議決定に続いて安保法制化(2015)を進め、さらに憲法改正実現内閣としてその名を残すことに政治生命を懸けているかの如く懸命です。

しかしこの間改憲の動きに抗し、安保反対、ベトナム反戦、オール沖縄、9条の会と、憲法を根付かせる国民的な運動も広がり、安保法制にたいしては女の平和、ママさんの会、学者の会、シールズの活動を含んで新しい市民運動が発展してきています。教師たちの平和教育への取り組みも続けられています。安保法制に対しては違憲訴訟が提起され、私も原告として法廷陳述(東京地裁2016年9月2日)をしました。

(この続きは本誌をご覧ください)

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