【対談】政治のあり方、私たちの選択

―安倍一強からまともな国へ―

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青井未帆さん(憲法学者)& 望月衣塑子さん(ジャーナリスト)


【編集部】通常国会が先月末で終わりました。森友・加 計問題で揺れましたが、追及しきれないままになっていて、一方で、法務大臣さえよく理解しない共謀罪法案が強行採決されてしまいました。ふり返って、どのような感想を持たれていますか。

 

体をなさない国会

 

望月 先生から見て、一連の加計問題や森友問題はどう見えているのでしょうか。法律に違反しているのかしていないのかさえはっきりしません。官房長官の菅さんは、「うちは法治国家ですから」と記者会見などでは言われますが、憲法学者からは、いまの政府答弁などはどう見えているのでしょう。

青井 まず、国会が体をなしていないですよね。きちんとかみ合うような議論ができていればともかくとして、もはや国会、国民の代表機関という名に値するかどうかが疑わしい状態になってしまっていますよね。こういう状況が続いてしまうと、国そのものが根本から壊れてしまうのじゃないか、そういう瀬戸際じゃないかと危惧しています。

その意味では、加計問題や森友問題が比較的多くの人の琴線に触れるといいますか、関心を引く話題になり、国会や政治を注目することになったのが少しは幸いだったのかも知れません。つまり、共謀罪とか安保法制とか、自由とか平等とか平和というのが、それ単体ではみんなの怒りを呼ぶ状況ではなくなっているようである。それが、おカネの問題という、とてもわかりやすい問題でようやく国民的な関心を引いて、どうもこの国の政治はあまりにもおかしいんじゃないかということに結びついた。いろんな意味で皮肉でもあったし、逆に危機的な状況であることをさらにあらわにした気がしています。

望月 たしかに、集団的自衛権の行使容認にふみ切ったときも、35パーセントくらいまで支持率が下がったのですが、結局持ち直しているんですよね。北朝鮮や中国の脅威がいわれ、北朝鮮のミサイル技術も進んできている現実があるなかで、一定数は集団的自衛権の行使はしかたないというような世論にも支えられて、(支持率が)一回は下がるけど戻ってきました。

今回は、安倍総理が韓国の朴槿恵前大統領と一緒で、政治を私物化してしまっているんじゃないかという疑念が出てきたわけですね。森友問題では、安倍さんに心酔している籠池さんが出てきて、昭恵夫人も出てくる、小さな子に「教育勅語」を暗誦させている、ああ安倍政権はこういう人たちによって支持されているんだと、世の中の人達が分かったと思うんです。

加計問題に関しても、「腹心の友」と自分でいうほど加計孝太郎さんと密接なつながりがあるなかで、プレゼンテーション資料を比較すると圧倒的に京産大のほうがいいのに、二枚のプレゼンしかない元愛媛県知事の加戸(守行)さんのほうが評価されているという、どう見ても不自然なプロセスで決まっていて、政治が私物化されているんじゃないのかという声が湧きあがってきました。

共謀罪は、テロ等準備罪ということで、もしかして必要なのかもしれないというような国民の危機意識に訴えかけるものもあったかもしれないけれど、実はその裏でこんなことがまかり通っていたわけで、それを知らされた国民の怒りはなかなか消えません。おっしゃったように、私たちからすると、集団的自衛権や共謀罪の問題はとても重い話なんですけど、国民の多くが肌実感でこれは絶対に許しがたいと思ったテーマは、こっちだったわけですね。安倍一強のなかに隠されてあったものが、まさにどんと突き出てきた気がします。籠池さんのパフォーマンスも、その点では受けたといいますか、よく分かるものでした。

メディアでいえば、2014年に萩生田光一筆頭副幹事長(当時)から、選挙報道を公正公平、中立なものをという要望書、所謂「萩生田文書」なるものが、担当の政治部記者を通じて、テレビ各局の編集局長らへ渡されました。政治に関して、半々で反対派と賛成派の意見を載せろ、つまり、安倍政権に批判的な声をとったら賛成のほうも出すようにというようなことが要求されました。あの文書によって、選挙報道でなくてもテレビは、ほどほどにやろうよというような空気、忖度報道というものが進んで行きました。報道の自己規制、自主規制が続いてきたなかで、籠池問題がどーんと今回、出たわけです。籠池氏は、強烈なキャラクターであるとともに、塚本幼稚園での「教育勅語」暗唱など、戦前回帰を思わせるような教育志向がさらけ出されました。東京のキー局はみんな様子見を数日していましたが、そのなかで、籠池さんのキャラをバーンと出し、昭恵さんをいち早く取り上げたのはテレビ東京で、当初は独走状態で非常に高い視聴率を出していたそうです。他局は、関西ではやるという程度だったのが、テレビ東京がものすごい視聴率をとるものだから、結局、追わずにいられなくなったという事情があります。三、四日のタイムラグができましたが、東京のキー局が報道を始めたら、あっという間にお祭り状態になりました。これによって、メディアではタブーになりつつあった安倍政権批判が壊されてしまった。視聴率という国民の関心に引きつけられたというのがあったと思います。

 

国民の関心とメディアの立ち位置

 

青井 そこがちょっと残念なんですよね。つまり、集団的自衛権では視聴率がとれないから引いて、ちょっと言葉はよくないですけど、おカネの話になると、「国民の関心」だからメディアもでていくとなると、メディアはそんな受け身の姿勢でいいのかという疑問が湧きます。政治もそうですが、メディアもまた根本的に、かなり危機的な状況だという気がするんです。

望月さんが出席された菅さん(菅義偉官房長官)の記者会見、キーボードをたたくカチャカチャ音だけというのが普通の記者会見のシーンだと思うのですが、そこに、望月さんがガンガンと質問をされました。同じ質問は避けてくれといわれても、きちんとお答えをいただいていないから質問するのだと食いさがって……。聞こえてくる話によると、普段から記者会見に出ているある新聞社の政治部の記者が不快感を示したとか。一体、誰の方を向いているのでしょう。何かおかしい、と思うんですね。

もし国民が興味を示すか示さないかでメディアの姿勢が決まるとするならば、私たちは、過ちをもう一度繰りかえそうとしているのではないか、という危惧をおぼえます。つまり、明治時代を振り返れば、政府としてはどう国民を作り出していくか、国家のために死ねる覚悟を国民に生むか、いろいろ工夫しましたが、結局、戦争が始まらないと盛りあがらなかったわけですね。日清・日露の戦争、15年戦争と進んだ際のことを念頭に、国民とメディアの関係を改めて考える必要が、今日、強まっているのではないか。メディアも当初は抑制的な論調だったのが、もっとやれという下からの国民の突きあげによって変わっていく。「国民の代弁者」という言い方をすればキレイですけれど、「国民の代弁者」というのは、そういうものじゃない。記者やメディアの「特権」ということは、論ぜられないんじゃないかと思う。いまのお話をうかがっていると、日本のマスメディアは、浮遊する国民の鏡にしかなれていないのかな、と。そういう意味での「国民の代弁者」というところに止まっているのかなという気がするんです。そのへんはいかがですか?

望月 もっと先に行けるか、ということですよね。

青井 そう。特権ということを主張できるような主体になりうるのか。

望月 官邸番の空気に触れると、政治部は社会部とは取材対象にたいする姿勢の取り方が全然違うなと思います。これほどまでに疑惑の追及ができていなかったのかというと、過去を知る政治部の記者は、もうちょっとそれなりに突っ込めたと言います。本当は、権力にあい対してきっちり追及し、チェックするということを肝に銘じてやらなきゃいけないわけですが、でも、安倍一強のなかで、政権側に歯向かうような質問をしづらい。クラブの空気とかもあるわけですが。

こういう流れのなかで、杉田和博官房副長官が内閣人事局長に就任しましたが、彼は公安あがりの官僚で、いろいろな情報を元に、反安倍政権的なことを言っている官僚や記者がいないかとチェックする。前川さん(喜平、元文部科学次官)の出会い系バー通いの問題も、どこがネタ元かは言いませんけれど、記者情報かもしれないし、公安や内閣情報調査室を使ったかもしれません。極端にいいますと、スパイ国家的な国家観を持っている官邸のもとで、記者が情報提供者的な立場として扱われているだけになっているんじゃないかなと。これは外から見ているだけの話ですから、なかに入ればもうちょっと違う世界もあるかもしれませんが、そういう実感が少しあります。

私が6月8日に質問したあと(前川氏以外からも加計学園の獣医学部設置をめぐる内部告発文書が出ていることについて、第三者による再調査をしないのかと質問した)、菅さんが官邸の総理執務室に乗り込むかたちで話し合いがおこなわれ、やっぱり再調査となったといわれます。私とのやりとりだけでそうなったとは思いませんが、もしそうだとすれば、それまで告発文書が出てから一カ月ほどたっているわけで、その間に、内部告発とか匿名の告発文書がばんばん出てきたわけですから、表の会見では聞きづらくても朝夕の会見で、それらをないがしろにし続けたら結果として国民の反感をかっていくということを、政治部の記者の立場で、もっとこうすべきじゃないか、調査したほうがいいんじゃないかという提案があってしかるべきではないかと思うんですね。

それもなかったとしたら、いよいよ危機的だと思います。国民の疑念と怒りがたまりつつあるなかで、そばでウォッチングし、チェックすべき記者たち自身が特権にあぐらをかいて、権力と一体化してしまい、国民の知る権利を代弁するために何をするべきかという本来のありようを忘れてしまうような状況が生じていたんじゃないかと思うんです。当然のように権力側におもねって、腫れ物にさわるようなことはしたくないから核心には触れず、みたいなのが続いてきているのかなと。

今もって、官邸番の記者が加計疑惑をがんがん聞いたりという光景はみられなくて、私や朝日新聞の南彰記者、ジャパンタイムズの吉田玲滋記者が聞かなければ、そこには触れないということが続いています。私も他社で一緒に疑念を追及してくれる人がいるとやはり、官邸会見の空気がだいぶ違うと感じます。

青井 お聞きしたかったんですけど、望月さんは社会部でいらっしゃるでしょう。外から見ると、政治部と社会部はきちんと交流がとれていないような気がするんですが、今回は自分が行かなくちゃいけないというお気持ちで記者会見に出られたのですか。

望月 そうです。他社はもう少しハードルが高いみたいで、政治部の敷居をまたいであそこに行くのはな、という暗黙の規律みたいなのがあるとも聞きます。ただ官邸は、基本的に危機管理をやるところなので、ミサイルとか大災害があると常にそこから発表がありますから、部は関係なく、基本的に国会記者証さえあればいろんな部が出入りできるようにはなっています。内閣記者会に登録しているところは限られますけど、行けないことはありません。ただ社内で、政治部の領域に入ってくるのか、という政治部と社会部の軋轢みたいなものはあります。うち(東京新聞)は人数が少ないのでわりとゆるくて、いいよという感じで行かせてもらっています。他社では、行きたいといっても政治部が嫌がるからやめとこうよという話があるのを聞くので、そこは温度差があるかなとは思います。会社や政治部の対応には、本当に感謝しています。会社が認めてくれなければ、一歩を踏み出し、会見の場に足を運ぶことはできませんでしたから。

青井先生からみて、やっぱり、メディアは何をやっているのかという感じがあったということですか?

(このあとは本誌をご覧ください)

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