編集後記

新船 海三郎

しんふね・かいさぶろう | 文芸評論家



【編集後記】

▼「摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。/悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。/私は手を強く握り、誓う。/奪われた命に想いを馳せて、/心から、誓う。

私が生きている限り、/こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。/もう二度と過去を未来にしないこと。/全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。/生きる事、命を大切にできることを、/誰からも侵されない世界を創ること。/平和を創造する努力を、厭わないことを。」――沖縄全戦没者追悼式(6月23日)で相良倫子さんが朗読した「平和の詩」の一節である。中学3年生の少女がこんなにも強く訴えないといけない「平和」にしてしまったことに胸が痛む。詩にはこんな言葉もあった。「戦力という愚かな力を持つことで、/得られる平和など、本当は無いことを」。私たちは、もう一度73年前のあの日に戻って、今と未来を考えなくてはいけないのだとしみじみ思わされた。

▼朝鮮半島をめぐって歴史的な事態が展開された。半年前には戦争寸前、一触即発といわれていたのが急転直下の事態。金正恩、文在寅両氏が手を取り合って休戦ライン越える姿には、演出・演技があるとは思ってもやはり胸に迫るものがあった。トランプ大統領に「われわれはあらゆることを乗り越えてこの場にたどりついた」と語った金委員長の言葉におそらく?はないだろう。少しでもいい方向に進んでほしいが、それには、ここへ彼らを向かわせた力、たとえば、〝ろうそく革命〟の韓国、ノーベル平和賞を受賞したICANなど核兵器廃絶を求める国際的運動、辺野古新基地建設に反対する沖縄……など、もっと大きな〝人民の力〟が必要だ。戦争はボタン一つだが、平和は苦戦苦闘、善戦健闘の微細だが持続する一つひとつの積みあげでしか実現できないものなのだから。

▼それにしても、「板門店宣言」「米朝共同声明」の実効を疑い、重箱の隅をつつくように難癖を付ける議論はどうだ。消息通、専門家といわれる人たちの意見は、まるで緊迫状態を当然視しているよう。平和が怖いのか、とつい思ってしまう。といって、親分が右を向いたらただちに右へ倣えというのもいかがなものか。拉致は言ってやるから経済援助に金は出せよといわれて〝ハイ〟とでも答えたか。去年の〝国難突破〟って何だったの、といいたくなる。節操がない。わが身一つのことしか考えない。と思っていると、「刎頸の友」もまた同じよう。類は友を呼ぶとはよくいったものだ。大阪北部地震でマスコミが右往左往している隙をつき、地元記者クラブに2時間前に通告して記者会見。俺は知らないというだけのことに数ヶ月も雲隠れし、だまし討ちのようにしか会見できないなんて、だれが考えてもおかしいよ。

▼本誌創刊に尽力いただいた浜林正夫さんが亡くなった。知恵を借りに入所されているホームに伺ったら、それなら編集委員に加えてもらうよ、と笑った顔が思い出される。ホーム住人の幾人かの名前を挙げ、毎日「御(午)前会議」をやっているんだ、とも。あちらでも変わらず歯に衣着せずに議論しているだろうが、こちらは寂しい。

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