今一度考える東京オリンピックの意味

石坂友司

いしざか ゆうじ | 

スポーツ社会学


はじめに

 

東京2020オリンピック・パラリンピック(以下、東京大会、または20年大会)の開催まで2年を切った。2013年に開催が決まってから、ここまでは混乱続きの準備期間だった。いよいよ現実的課題に直面し始めたこの大会は、国民を巻き込んでおかしな方向へ全力で走り始めたようにも見える。

1964年大会には戦後復興を成し遂げ、平和的歩みを始めた日本の姿を世界に示すこと、さまざまなインフラを整備し、経済的成長を導く明確な目標があった。そこから50年を経て開催されようとしている20年大会は、当初から理念なきオリンピック招致と言われ続けてきた。スポーツ・メガイベントの中で、オリンピックだけが唯一開催理念を問われる大会である。都市開発の思惑以外に、なぜ東京大会を今の日本で開催する必要があるのか、その問いに明確な答えを与えられる人はほとんどいないだろう。

理念なきオリンピックとの批判に対して組織委員会は、大会には明確な目的とビジョンがあると反論してきた。それは「スポーツには世界と未来を変える力がある」というキャッチフレーズに表現され、次の3つのビジョンが掲げられてきた。第1に、「すべての人が自己ベストを目指し(全員が自己ベスト)」、第2に、「一人ひとりが互いを認め合い(多様性と調和)」、第3に、「未来につなげよう(未来への継承)」というものだ。これらは大会開催のビジョンであり、目的や理念ではない。

第1の全員が自己ベストという考え方が、これまでの大会準備に関わる混乱の多くを象徴している。すなわち、オリンピックは国民総出でサポートし、盛り上げるきというものだ。後述するボランティアの募集、サマータイムの導入などは、この観点に照らせば、組織委員会としては当たり前の提案をしているに過ぎないのである。

このような考え方は第2のビジョン、多様性と調和という観点から言えば、明らかに矛盾する。これは、さまざまな人種や民族、性別、障害者を含む大会運営のことを指している言葉だが、オリンピックに対する向き合い方もさまざまに存在する。オリンピック、スポーツそのものに関心がない人から、イベントの商業主義的性格に嫌気がさして、存在そのものを認めない立場の人、見るのは好きだが、自国開催、特に東日本大震災の被災を受けた直後の開催に疑念を持つ人、復興の力になると賛成したが、その後の過程を見て、うんざりしている人、大会が好きでわくわくしている人まで多様である。せめてオリンピックに巻き込まれない多様性を認めてもらいたいものである。

そして第3のビジョンは、何を未来につなげるのか、指し示す内容が全く不明である。このように3つのビジョンは抽象的なものでありながら、国民参加のイベント盛り上げを暗に前提としており、強制力を伴うものである。オリンピックをやる前に、福祉や教育の充実など、すべきことは山積しているはずである。ところが、このメガイベントは、個人の賛否を超えて巻き込まれてしまうところに特徴がある。

東京大会の開催をどれだけの人が望んでいるのか

大会開催に関しての批判的な意見はさまざま目にするが、大会そのものを積極的に賞揚する意見はどうだろうか。今後登場してくる可能性は否定できないにしても、CMなどで、もう少しオリンピックを価値づける言説が目立ってくるのではないかと筆者は警戒してきた。ところが、組織委員会が発するPRコメントを除けば、そのようなものはそれほど流布しているようには見えない。時折ガス抜きのような批判が高まり、なんとなくふわっとした雰囲気の中で大会準備が進められている印象である。

大会に対する批判的意見は徐々に制限され、トーンが減じられているようにも思われる。それは大手メディアのほとんどが東京大会のスポンサーに名を連ね、価値を毀損させる報道や、オピニオン掲載を控えるようになってきたからである。地方紙を除いて、踏み込んだ批判は見られなくなりつつある。

一方で、大会準備にまつわる混乱は依然として続いており、国内の大多数の人がこの大会にうんざりしているのではないかという感覚がある。しかしながら、以下のデータを検討すると、その考えは思い違いであると気づかされる。

一体どれほどの人がオリンピック開催に賛成しているのか、一番の問題となるこの数字がこれまではっきりと検証されてきていない。開催決定後に内閣府政府広報室が行った調査によると、大会に関心がある人の割合(非常に関心がある、ある程度関心がある、を含む)は81・9%と高い数字に跳ね上がっている。また、NHK放送文化研究所が実施した2017年10月の調査では、大会に関心がある人の割合は80%(大変関心がある、まあ関心がある、を含む)とこちらも高い数字となっている(鶴島瑞穂・斉藤孝信、2018、「2020年東京オリンピック・パラリンピックへの期待と意識」、『放送研究と調査』68《4》: 58―85)。以上の数字は、大会準備にまつわる混乱やさまざまな問題の発生にもかかわらず、多くの人びとにとって東京大会は重大な関心事になっていることの証左である。大会開催に全く興味を抱かない、あるいは批判的な意見を持つ層は多数派を占めているわけではないのである。このことは記憶にとどめておく必要がある。

(以下は本文をお読みください)

一覧ページに戻る