巻頭言・西洋人崇拝と「新自由主義」

――カルロス・ゴーンとは何であったか

大西 広

おおにし ひろし | 経済学、本誌編集委員



総額100億円の報酬を受け、しかもその半分の所得隠しをしたカルロス・ゴーン日産会長が2018年11月19日、羽田空港で逮捕された。「罪状」を聞くと、この所得隠し以外にも、会社の費用で6億円とか15億円と言われる邸宅をブラジルとレバノンで買わせたり、自分の会社の欠損を日産に支払わせたり、贅沢な家族旅行を会社の費用でしたりと驚くばかりである。そして、だからこそ、この19年間に出版された彼の著書を買って読んでみるのもいいかも知れない。たとえば、次のような白々しい言葉がならんでいる。

 

規範に挑戦せよ

リーダーの条件

大切なのは「人とつながる力」を持つこと

「多様性」が豊かさをもたらす

失敗の中にこそ成功の芽がある

汝の敵は汝自身なり

すべては一人ひとりの意欲から始まる…………

(『ゴーン・テキスト ビジネスの教科書』文藝春秋社、2006年)

 

そしてまた、別の著書『カルロス・ゴーン リーダーシップ論』(日経BP社、2013年)ではその編集者が次のような言葉で褒めちぎっている。

 

日産自動車に舞い降りた救世主

退路を断って結果に責任を取る姿勢を見せた外国人の潔さ

しがらみの中を生きてきた人間に、その呪縛を断ち切るというのは土台無理な話である。〝異邦人 〟であるゴーンが登場しなければ、ずるずると衰退の道を歩んでいただろう。

 

しかし、この機に私たちが知らなければならないことは、この「リーダーシップ」とは実は5つの工場を閉鎖し、2万1000人の首を切ったということでしかなかったということ、単に冷酷であったということである。首を切り、賃金を下げて利潤を上げるのであれば誰でもできる。否、従業員のことを考えるならできない。ので、その情念を断ち切るのがリーダーシップ……となっていた。いわば相当に本末転倒した常識に我々が囚われていたことを知らなければならない。通常、「新自由主義」との言葉で表現されるものの考え方はこうして社会に拡散されてきたのである。

 

しかし実のところ、このゴーン逮捕の背景を詳細にみると、ルノーとの確執や日仏両国家権力間の権力闘争としての側面が目に見えてくる。「国有企業」と言ってよいほどフランス政府が大きな経営権を持つルノーは日産株式の43・4%を持ちつつも、実際は日産よりずっと弱体な企業で、その競争力強化のために日産のサポートが必要となっている。ので、何年も前からずっと話題になってきたのは両社の統合問題で、この圧力はフランス大統領がマクロンに代わっていよいよ強力になっている。つまり、ルノー側の利益がフランス政府を巻き込んで日産側に要求されているということである。

もちろん、「ルノーのために貢献せよ」と言われ、様々な譲歩を強いられている日産にも不満が蓄積されている。たとえば、ルノーの純利益の半分は日産が稼いでおり、本来は日産が生産する予定であったSUV車の生産をルノー子会社のサムスン・ルノーに譲るようなことも強いられている。このため、これ以上に譲歩を迫られ兼ねない経営統合に反対するために日産側が今回のクーデターを仕組んだ、というもっぱらの話となっているのである。この背景には、当初は経営統合に反対だったゴーンがマクロンの圧力で賛成派に転じたという事情もある。ともかく、ルノー=フランス政府合同の圧力への日産の抵抗が今回の逮捕に結びついたという話で、このためには日本の捜査当局の強力なサポートも不可欠であった。この意味では、ルノーと同様、日産もまた政府を味方に巻き込んで闘っていることとなる。

レーニンは『帝国主義論』で各国独占資本の利益を各国政府が代弁して争う国際的権力闘争として帝国主義戦争を論じた。この意味では、今回の逮捕劇もまたひとつの国際的権力闘争ということとなる。

なお、今回の事態は企業内部の権力構造をも明らかとした。というのは、ゴーン氏ひとりがどう動くかが日産、ルノーのみならず日産傘下の三菱自動車も含めてその帰趨を左右するという権力集中の問題が明らかとなり、かつまたそれが不正会計や資金の私用などの直接の原因ともなっていたからである。企業は外では競争原理で行動していても、その内部は権力機関そのものである。労働者に「新自由主義」を説く権力者の正反対の現実を知っておくことも重要である。

 

しかし、それにしても2か月に1度、それも数日の日本滞在しかしていないゴーンの報酬の大きさには驚かされる。それほどのお金を持ってどうするのかと思うが、同じ取締役でも日本人の報酬と外国人の報酬が桁違いだと聞くとまた複雑な気分になる。日本人役員は日本人というだけで他の役員からこれほどの差別を受けているのである。民族的屈辱と言わず何と表現できようか。フランス資本に株式を支配されるということは会社だけでなく個人もがこのように差別されることを意味するのである。

もちろん、日本人役員はそもそもそれだけの報酬を受けようとしていないので、これを「文化の違い」として理解することもできる。しかし、それは言い換えると株式取得によって西洋人の持ち込む文化は労働者に冷たく、かつまた資本家に手厚い文化ということになる。「新自由主義」の名で持ち込まれたすべての文化はこのように集約することができる。

私の属する経済学界ではアメリカ帰りの学者の横柄さにいつも苦労させられているが、よくよく考えてみると、大河ドラマ「西郷どん」で大久保利通の人柄を変えたのも西洋であった。日本はこの結果、アジアとの共生ではなく、帝国主義の道へと進むこととなったのである。

現代の世界と社会をゆがめているのは資本主義と帝国主義という客観的な社会システムであって「文化」ではない。が、資本主義と帝国主義は常に「文化」の形式をとって現われ、それはこの2世紀ほど、「西洋文化」として表現されてきた。カルロス・ゴーンの偶像から解放された今、資本主義と帝国主義の克服の課題は西洋人崇拝からの脱却の課題と深く関わっている。

一覧ページに戻る